ナタリーってこうなってたのか
10月が終わって、全社的には悔しい結果になったものの
7−9月で苦しんだ分を戦略転換で少し取り戻せたのは良かった。
何はともあれ、現場のがんばりに尽きる。
さて、仕事の振り返りはひとまず置いておいて。
ずっと気になっていたが売り切れで買えなかったこちらの本がようやく手に入り、感想を。
ナタリーと言えば、音楽やマンガ、お笑いなどのニュースサイトというイメージがあるが
その中の人の本、ということである。
批評はせず、事実を淡々と。情報をなるべく多く提示する。
というスタンスのナタリーは、編集長の、大山さんが、
自分らしさを打ち出さなかった結果、自分らしいメディアになった。
というくらい、事実を大量に記事化しているメディアである。
コンセプトからぶれてしまうぬるいものはダサい。やるべきことを淡々とやる。
といい、毎日100本近い記事を書いており、コツコツと、というレベルではないアウトプットを
地道に積み上げている事実に驚いた。
信念、コンセプト、ナタリーらしさ、そんなものを文面から強く感じた。
強いメディアを作る、という視点で学ぶものが非常に多い。
特に響いた内容。
・(新規事業の)お菓子ナタリーは失敗。毎日チェックするほど切実に情報を求める人はいなかった。
・紙かウェブかの議論はとっくに決着がついている。読者も、遅くとも翌日にはライブレポートが読みたく、紙の手触りがいいというのは、センチメンタルな感傷にすぎない。
・初期のコンセプトでもあったメルマガがよくよく分析してみると活用されておらず、流入がかなり減ってきている。残しておいても害はないが用のないものが存在していること自体気持ち悪く、削った。結果、核である記事クオリティがソリッドになって良かった。
・「こんなことしてる僕たちって面白いでしょ」、「私って変わってるでしょ」、と言う奴はだいたい面白くないし変わっていない。奇をてらったり、ドヤるのはダサい。淡々とだしていく。
そのなかでも、最後の、「こんなことしてる僕たちって面白いでしょ」、「私って変わってるでしょ」、と言う奴はだいたい面白くないし変わっていない。という下りには非常に共感した。
そうして、コツコツとスタンダードを作り上げていく人間にこそ、狂気じみて、変わってる人であることが多いと思う。
表面的な、「面白い」、「変わっている」はいらないと感じるようになったここ1年。
奇をてらわず、スタンダードを積み上げて行くことで狂気をつくっていきたいと感じる。
ぱっと分かる奇抜は、表面的で薄っぺらく、すぐにその価値を失う。
しっかりと根をはやし、幹を太くし、育ったときに、それは普通の域を超えて、世界観を生み出せるのだと思う。