なりたいものになる
『遊びがわかってないね。まずは一生懸命暮らすこと。』
by 所ジョージ
最近よく、休みができたら何がしたいですか?
と聞かれて、本を読むとか、運動をするとか、長期の休みなら留学に行きたい、と答えることが多い。
でも、僕は、読書も運動も英語の勉強も嫌いだ。
数時間もかけて活字を追いかけるのも面倒臭いし、
運動はランニングをしてるのだが、マラソン大会が大っ嫌いだった僕にとって、毎週1時間のランニングは苦痛で仕方ない。
ここに、不思議さがあるなーと思っていて、考えると、
「なりたいものになるための手段」ということなんだと思う。
家でテレビ見てたり、友達と飲み歩いたり、
これはこれで楽しんだけど、張り合いがない感じがする。
大学のときも、それで古着屋をはじめられた、というのもある。
成長欲、というのは、不思議なもので、
『成長したいんです』という後輩や学生の話を聞いて、
成長した先の何を見ているのかが分からないときがあって
この子の成長の先には何が待っているんだろう、と漠然と考えてしまったりする。
自分の中では、成長したい、という台詞の裏には、
もっと高い視点で、もっとマルチな視点で、仕事や事業を見てみたい、というところがある。
だから読書をするし、体力をつけるために運動したりしている。
これは、仕事が好きだ、とか、せっかく働くなら楽しく仕事がしたいという条件が前提にあり、そうするためにはどうなっているといいのだろう、という思考から来ているところがある。
まとめるとこんなかんじ。
楽しく仕事がしたい→(そのためには)仕事を自らの手で動かしたい→(そのためには)経験や知識が必要だ→(そのためには)仕事もどんどん挑んだことのないことをするし、勉強もする。
迷いが生じたときは、このあたりのどこかの階層がおかしくなっているんじゃないかな、と思う。
だからしゃかりきに成長しようと努力している最中やでかい壁にぶちあたったときに、急に、なんでこんなことしているんだろう。という疑問にぶつかる。
小さい頃や学生のときに、将来何になりたい?という質問は
きっと職業なのではなくて、その本人の生きたい像を聞いているんじゃないだろうか。
当然、小さい頃には、パイロットか警察官かお店屋さんか、自分の知っている職業しか出てこないけど、自分が今何をして生きたいか。非常に根本をついている質問で、ずっと自分に問い続けてもいい質問だと思う。
とりとめのないブログになってしまったけど
個人的には、スーパージェネラリストになりたいと思っている。
すべて包括的に、マクロでも、ミクロでも、大枠の理解と、そこから明確な指示が出せ、自分が関わっているプロジェクトを飛躍的にのばすことができる、でも多趣味で、毎日楽しそうで、どこかつかみ所のない、そんな人。
すごく、遠いけど、そこを見ながら、また毎日を過ごしていきたいものです。