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退職のこと。

takezawa0502
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2020年8月8日

3月末を以て、サイバー・バズを退社した。

今やFacebookなどで簡単に報告できる(実際にした)中で、過去を振り返り、自分の次の挑戦への区切りにしたいということと、自分の後輩たちのキャリア設計への手助けに少しでもなればと思い、改めてこういったかたちでブログに綴ることにした。

エピソードは、本当はもっとお世話になった方々の名前を書きたかったのだが、名前を挙げたらキリがなくてそのあたりはなるべく割愛させていただいた。

 

サイバー・バズ1社で、異動なく、8年勤めたのだが、普通の企業では経験できない量の圧倒的な経験を積ませていただいたと心から感じている。

本当に勉強させていただいた。

 

2008年に入社し、3年で起業します、
と大口をたたいた若造の僕は、結局、社内外の異動も多いサイバーエージェントで、異動なく8年を過ごすこととなった。

こんなふざけた若造を採用していただいた
サイバーエージェントの人事には本当に感謝しかない。売り手市場でよかった。

 

入社後、起業するなら自分で経営まで見れる会社に行きたいと思い、出来て間もない子会社のサイバー・バズを志望した。

多くの子会社が出来たり無くなったり統合されたりする中で、今でも現存するサイバー・バズは本当に素晴しいと思う。

当時、バズ入社の新卒は4名。
起業するなら営業できないやつは使い物にならないと考え、メディアを勧められたにも拘わらず、営業として配属していただいた。

その年の秋には、リーマンショック。
出来たばかりの会社には、アポイントに行く先もなく、TELアポをかけては、断られ続ける毎日。

本当に泥水をすする思いで、営業活動に励んだが全く受注が上がらず、自信喪失する毎日が続いた。

しかし、市場が悪くても先輩は受注をあげてくるわけで自分の至らなさを肌身に感じ、必死で広告や、インターネット、マーケティング、プランニング、営業のことなど、休みもほとんど取らずに勉強した。
社会人として一番しんどかったのはこのときだと思う。

成長実感なんてのは、やってるときにはほとんどなくて、ふと気づいて振り返ったときに、出来るようになったかも、と思うようなものなんだと知った。

このときに、度胸と、コミュニケーションスキルを身につき素晴しいクライアントの方々に出会えた。

 

それから、僕は営業からメディアに移っていくのだが、そのきっかけとなったのは、新規事業プランコンテストのジギョつくだった。

サイバーエージェントには、当時、ジギョつくという社内事業プランコンテストがあり、
新規事業に漠然とした想いと憧れを抱いていた自分にとっては、いつかチャレンジしてみたいコンテストだった。

そこでいくつか事業案を出す中で、
決勝まで行けることとなったアイデアがあり、同期の横村と一緒にプレゼンした。

結果、アイデア賞をいただけたものの、事業化はせず、しょぼくれていたら
当時社長の宮崎さんに、新規事業室という部署をつくっていただいた。

2年目の春だった。

 

新規事業といっても、これをする、ということが決まっているわけではなく、当時サイバーエージェントの役員をしていた高村さんに毎週新規事業案を提示する、ということを繰り返した。

新規事業を(今思うと事業と呼べないものも多数あるが)考え出すというのは、本当につらい作業だった。

毎日、本屋に行ったり、社内外の諸先輩に話を聞きに行ったり、
ネットのニュースを1日500本読むことをノルマとしたり、カフェにこもったりした。

結果、先輩方にサポートしてもらいながら
2本の新規事業を立ち上げ、
その部門のマネジャーをさせて頂くことになった。

しかし修行不足だった若手マネージャーは、
その後自分の力不足を感じ、マネージャーをおろしてもらったり、再度一から営業をさせてもらったりと色々こじらせたのだが、とてもいい経験となった。

 

その後、さらに大きな挑戦として行ったのが、Facebookキャンペーンアプリ、ポチカムの立ち上げだった。

社長の高村さんに声をかけてもらい、
Facebookで何か事業を、ということでスタートした。

その当時、1年ほど先行する競合を後追いする形だったので、これ以上差をつけられてはいけないということで最速での立ち上げが求められた。

大きな開発経験もない僕にとってはエンジニアを率いての大規模なユーザーサービスの立ち上げは初めてで、言葉の通り、寝ないで働いた。

立ち上げた事業は紆余曲折ありながらも
その後、モニコレという事業と統合し、
現在も多くの会員を抱えたサービスとして残っている。

 

会社員として、働くことのメリットの一つに、自分の限界を超える要求をされる(してもらえる)、ということがあるんじゃないかと思う。

大体、自分で何かしようと思っても自分の世界観以上のものは産めないし
全力でやっても、8割くらいの力しか出していないことがほとんどだと思う。

これを、高い目標を設定され、必死でそれに食らいつくには、自分のタガを外さなければならない。
これは自分ではなかなか出来なくて、それをうまく外してくれる目標設定や
上司がいると飛躍的に成長できると思う。

 

その後は、メディア局の局長をさせていただき、サイバー・バズの執行役員としての任期を務めさせていただいた。

キャリアは、横に広げるよりも縦に引き上げていくほうが、価値が高いと感じるようになった。

ドラクエの転職みたいなもんで、
上級職にいくには、まずは基本職を極めなければならない。

それをいくつか極めてさらに上級職を目指していく。

そうやって地道に一つひとつクリアしていくことでしか見えてこないものがあった。

そして30歳の終わりに
子どもが産まれるのをきっかけに、妻が営んでいる事業を大きくしていくということで、本当にわがままを言って、退職させていただいた。

それでも温かい言葉をかけてくださるバズの経営陣、メンバーには感謝の気持ちでいっぱいだ。

 

これからは、うちる( http://uchill.jp/ )という和食器を中心としたネットショップに力を入れていく。

和食器やハンドメイド、民藝品のジャンルは
とても面白く、とにかくやってみたいことに溢れている。

また、小さなことを少しずつ経験して、
自分のこれからを積み上げていきたいと思う。

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※朝。窓から入る朝の柔らかな光がとても気に入っている。

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